考えてみたらご飯って不思議ですよね!?
お米を炊いて食べることを「当たり前」と思わない
毎日、お米を食べる。
お米を買ってきて、計量して、洗って、水を入れて、炊飯器のスイッチを押す。
しばらくすると「ピーピー」と音がして、ご飯が炊き上がる。
そして、何気なく茶碗によそって食べる。
僕たちにとって、これはごく普通のことです。
でも、ある日ふと思ったんです。
「これって、本当に当たり前なのかな?」
考えてみれば、お米って不思議な食べ物です。
一粒一粒は、とても小さい。
しかも、田んぼに実っている稲を見ても、そのまま食べようとは思いません。
稲からお米を取り出す「脱穀」をして、さらに「精米」をする。
それを洗って、水を加えて、火を通して、ようやく僕たちがいつも食べている「ご飯」になる。
今では炊飯器のボタン一つです。
でも、昔の人はそうじゃなかった。
「どうやって食べるんだ?」
「これは食べられるものなのか?」
そんなところから始まったはずです。
そこで、また別の疑問が出てきます。
「そもそも、最初にお米を食べようと思った人って、どうして食べられると思ったんだろう?」
これが、ものすごく気になるんです。
もちろん、最初に誰が食べたのか、正確なことは分かりません。
でも、想像すると面白い。
田んぼや野原にある植物を見て、
「これ、食べられるんじゃないか?」
と思った人がいた。
実際に触ってみた。
皮をむいたり、火にかけたり、何かと一緒に煮たりしてみた。
失敗もたくさんあったでしょう。
それでも、
「こうしたら食べられるぞ」
と、少しずつ方法を見つけていった。
そして、その知恵が何世代にもわたって受け継がれ、今の僕たちの食卓につながっている。
そう考えると、毎日食べている一杯のご飯が、急に特別なものに見えてきませんか?
「当たり前」は、実は当たり前じゃない
僕たちは、便利な時代に生きています。
蛇口をひねれば水が出る。
スイッチを押せば電気がつく。
スマートフォンを開けば、世界中の情報を見ることができる。
コンビニに行けば、いつでも食べ物を買うことができる。
お米だって、スーパーで袋に入って売られています。
だから、その裏側を考えることが少なくなっています。
でも、少しだけ立ち止まってみる。
「このお米は、どこから来たんだろう?」
「誰が育てたんだろう?」
「どうやってここまで運ばれてきたんだろう?」
「そもそも、なぜ人間はこれを食べるようになったんだろう?」
そんなことを考え始めると、いつものご飯が少し違って見えてきます。
これは、お米だけの話ではありません。
朝、目を覚ますこと。
家族と話すこと。
仕事に行くこと。
お風呂に入ること。
布団で眠ること。
友達と笑うこと。
今まで「普通」だと思っていたことも、よく考えてみると、決して当たり前ではありません。
「当たり前」を疑ってみる
僕は、「当たり前を当たり前と思わない」ということは、人生を楽しむための一つの方法なんじゃないかと思っています。
例えば、毎朝飲んでいるコーヒー。
いつもなら、ただのコーヒーです。
でも、
「この豆はどこで育ったんだろう?」
「誰が収穫したんだろう?」
「どうやって日本まで来たんだろう?」
「どうして人間は豆を焼いて飲もうと思ったんだろう?」
なんて考えてみる。
すると、ただの一杯だったコーヒーが、ちょっとした物語に変わります。
同じものを見ているのに、考え方を少し変えるだけで、見えるものが変わる。
これって、人生も同じなんじゃないでしょうか。
嫌なことがあった。
「最悪だ」と思えば、そこで終わりです。
でも、
「この出来事から何を学べるだろう?」
と考えてみる。
失敗した。
「自分はダメだ」と思うこともできます。
でも、
「次はどうすればうまくいくだろう?」
と考えることもできます。
同じ出来事でも、自分への問いかけ一つで見え方が変わる。
だから僕は、最近よく「ちょっと考えてみる」ことを大切にしています。
一粒のお米から人生を考える
茶碗の中にある、一粒のお米。
小さくて、何気ない存在です。
でも、その一粒には、稲を育てる人がいて、田んぼがあって、水があって、太陽があって、長い時間があって、さらに脱穀や精米、運搬、販売など、たくさんの人の仕事があります。
そして、もっともっと昔まで考えれば、
「どうすればこの植物を食べられるのか?」
と試行錯誤した人たちの知恵も、つながっているのかもしれません。
そう考えると、
「いただきます」
という言葉の意味も、少し深く感じられます。
毎日何気なく食べているご飯。
でも、本当は「何気ないもの」なんて、ないのかもしれません。
人生は「考え方」で楽しくなる
僕がこのブログで伝えていきたいことの一つは、まさにこれです。
人生は、考え方で楽しくなる。
特別なことをしなくてもいい。
どこか遠くへ旅行に行かなくてもいい。
大きな成功をしなくてもいい。
いつもの生活の中にある「当たり前」を、ちょっとだけ違う角度から見てみる。
「なぜ?」
「どうして?」
「もし○○だったら?」
「ありがたいな」
そんなふうに考える習慣を身につける。
すると、今まで見えていなかったものが見えてくる。
そして、何気ない毎日の中にも、小さな発見が増えていく。
今日も僕は、お米を食べます。
でも、これからは茶碗の中のご飯を見ながら、ちょっとだけ考えてみたい。
「この一粒は、いったいどれだけ長い旅をして、ここまで来たんだろう?」
そう考えるだけで、いつものご飯が少し美味しく感じるかもしれません。
そして、人生も同じ。
当たり前だと思っていたものを、当たり前だと思わずに、ちょっと立ち止まって考えてみる。
すると、今まで何も感じなかった日常の中に、
「おもしろい!」
「ありがたい!」
「そういうことだったのか!」
という発見が生まれてくる。
もしかすると、人生を楽しくするために必要なのは、特別な何かではなく、
「当たり前を、ちょっとだけ疑ってみること」
なのかもしれません。
今日のご飯も、明日の朝も、いつもの景色も。
少しだけ考え方を変えて見てみる。
そこには、今まで気づかなかった「人生の面白さ」が、きっと隠れていると思うのです。